貧富の差

1. 家が裕福な子供は十分な教育を受けれて、偏差値の高い大学にいける。 2. 偏差値の高い大学にいる人はさらに高い教育の機会に恵まれ、いろいろな経験を積む機会も多い。 3. そうした経験を積んだ人間は社会からも必要とされるので収入の高い人気のある優れた職場に付ける可能性が高い。 4. 優れた職場に恵まれた人はよい伴侶とも巡り合い、豊かな家族を築ける。 そして1.が繰り返される。 またこれと逆のことも起こり、この過程の中で競争原理が働き、貧しくて能力のない人間は追いつめられて消えていく。仕事がなく、社会に無言で死ねといわれているようなもんだ。 生まれた時から既に社会に必要な能力の獲得のチャンスと評価の場の機会に差ができている。 こんな状況で自由で公平な競争や自由や公平なんてあり得るのか? たまたま社会に認められる能力を身に着ける機会に巡り合い、その能力を身に着けれて、それを評価する世の中があっただけ。 たまたまそうならなかっただけで、存在価値を否定される。 なんか世の中やっぱりおかしい。どうにかしたいな…。 Ken Senoo コメントありがとうございます。 ゲームや遊びの中だけなら我慢できるのですけどね(苦笑)。 こういう世の中に満足(利益)を得ている人間はこれを変えることは決してない。変えると自分が困るから。 この仕組みに困っている人か問題に気付いた人が行動するしかない。しかし、困っている人はそもそもそれだけの余裕がない。自分の不利益を承知で行動するような人しか変えることができない…。詰みですかね(苦笑)

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