元: https://social.senooken.jp/notice/2576903
こちらの記事について思ったことを書く。1400文字程度。
「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く http://a.msn.com/01/ja-jp/AAIMtsX?ocid=st
理系の人間なので,この世界は「保存則」で成立していると考えている。
この考え方に従うと,マクロ的な視点では損と得はイーブンになる。つまり,得する人が入れば,必ず損する人が出る。ミクロ的に見れば,気づかないかもしれないけれど。
結局,椅子取りゲーム。空き椅子がなくなれば,どいてくれなければ,他のものは座ることができない。
実際,自分が一生懸命頑張ってもうまくいかないことや,不幸の矢に当たることもある。もちろんその逆で幸運に恵まれることもあるだろう。
ただ,得よりも損のほうが影響は大きいように感じる。得はあればいいけど,損はできればしたくない。得は次のチャンスがあるが,死のように損は取り返しが付かない。
だから,他人の得が許せないというのはなんとなくわかる。得をする人が入れば,損をする人がいるから。自分が損をしているように感じるから。
自分としても攻撃まではしないが,積極的に関わりたいとは思わないから近づかない。自分が辛くなるから。
以前にも複雑な場面に出くわした。何年か前に同級生の結婚式に招かれた。
しかし,その年は師匠を亡くし,友と思っていた者たちから裏切られたり,仕事も辛かったり,祝福できるような余裕は余りなかった。
だから,当初は参加を辞退して,祝儀だけにしようかと思っていた。後になって,来てほしいから招待するのだと思い返して参加した。たぶん参加すると辛くなるだろうと思いながら。案の定辛かった。順風満帆で多くの人に祝福されているのをみて。
これ以外にも日常,特にSNS上ではこういうのをよく見かける。自分がつらい状況に陥っているのに,似たような境遇でもいい思いをしていそうな人とか。
別に自分に害があるわけではないし,他人の得が許せないわけではない。しかし,そういうものを目の当たりにすると,否が応でも自分の状況と比較せざるをえず,差が大きいと許容範囲を超えて,結局自分が辛くなる。こういう意味では自分に害があるか。
以前はそういうところでも何か得られるもの,学べるものがあるかと思って気にしないようにしていた。我慢していたけど,結局ダメージのほうが大きいことに気付いた。
ある程度自分に余裕がないと継続できない。他人の大きな得・幸福を許容できない。だから,そういうものとは距離をとることにした。基本的には自分から見ないし,近づかない。
分散SNSのタイミングもよかったので,SNSのアカウントをリセットして,インターネット上の人間関係をリセットした。知り合いが回りからいなくなって少し寂しくなったけど,まあこれはこれでよかった。結局のところ困ったときに力になってくれるのは,いつも家の人だけだったから。
なお,「授業に出てこないのにテストで良い点を取って、いい成績を取る子がいるんです。ずるくないですか?」は,学生時代に僕もなんか複雑な気持ちになっていたけれど,授業にちゃんと出ていい成績を取って,本当の意味で自分の教養にすると強く思っていたので,はねのけれたのだったかな。
なんか元の記事と趣旨が若干変わってしまったか。まあいいや。たまには書き散らすのもいいだろう。寝よう。
関連